20231202

・ランニング記録

なし

 

・日記

朝から意識が薄かった。起きてすぐ夢を思い出そうとして、お話を作り出してしまい、いやいや、これは作ってるやつじゃん、思い出したいのは夢なんだが?となっていた。なんとか起きて水回りの掃除をしたりしたので、トイレやキッチンの流しが綺麗になった。変なところの筋肉を使ってしまい右の脇腹がすこし痛い。

新宿のオカダヤに行ってstuffed toyの材料を買ってきた。材料がこれがいいんじゃないかと悩んで買っている時間が楽しかった。何かを作ろうとしているときの感じだ。しかし、家に帰ってくると途端に体から力が抜け何もできなくなった。少し休んでとりあえず何かしようと思い、材料を見分し、まずはお試しで布を裁断して縫ってみることにした。縫ってみて気づいたのが、立体的に縫うことの難しさだ。布なのでぐにゃぐにゃするし、針の先が常に怖いし、意図しないところに針が通ってしまう。立体的に縫うのは僕にはまだ無理だ!となったので、作ろうとしていたぬいの型紙を再検討する必要がある。平面を折りたたんで縫う方法は簡単そうだが、一方でチープな見た目になるような気もする。このへんはしょうがない。立体的にするならそういう平面で作ったものを組み合わせることで実現するのが今の技術的にはよかろうという結論に至った。

今日は「感想」ということについて人と話した。僕は感想が苦手で、対象の「説明」や「言語化」になってしまうことが多い。感想にはいい、悪いなど、バリエーションが少ないように思う。感想文も苦手だった。普段から何かを思うということもあんまり意識できていない。思うことって僕は「拒絶」くらいしかはっきりとは分かっていないんじゃなかろうか。「喜び」「楽しみ」といったこともあまり分からない。「悪くない」くらいなら分かる。思いは欲望とも違うような気がする。欲望は生理的なものであって、反射に近い。思いとはではどこにあるのか?僕の感想は?漫画の感想といってもそれなり面白かった以外に無い。じゃあなぜ面白かったか、これは言える。だけどそれってここがこうなっている、だから面白いということになり、結局のところ「説明」なんだと思う。感想の無い男、現る。

人の思い出話を聞くと胸がいっぱいになる。他人のノスタルジーが流れ込んでくるからか。あるいは僕には永遠に到来しないものが過去にあったことを知らされるからか。あらゆる人の思い出は僕には到来しないんで、そのことがなんだか奇跡のように不可侵で、絶対的に奪われないものの象徴のような感じがする。思い出に残ったもののディテールが愛おしい。僕には思い出があまりない。忘れまくりだからだ。思い出せるものは思い出し尽くしたように思う。日記でも書いておけばよかったのかな。

人と深く関われば関わるほど、自分が本当には一人であることを突きつけられる。関わらなければ意識することもないので楽だけど、何かあるんじゃないか?と思って関わるとやっぱり何かがあって、でもそれはいっときの人と会っているときに発生する現象のようなもので、何か確固たる物ではないし、実際どこにもない。どこにもないが、現象としてはある。火のようなもので、火のついているときは温かいし見た目にもゆらぎがあって面白いし、独特のにおいがある。一方火が消えたあとのこと、そのことを考えてほしいが、火が消えたあとに、火にまつわるものの何が残されたかということだ。火の痕跡しかない。火そのものはどこかへ消えた。現象だからだ。それがものすごく悲しい。人間について詳しいあなたにはお前まだそこ?と思われるかも知れないし、僕も過去に何度も同じことを考えたような気がして忘れてるだけだとも思うが、今思いついたのだからこうして書き留めておく。宮沢賢治の詩?に私という現象は有機交流電燈の~みたいな一節があったけど、これはそのような感慨ではないだろうか。

 

・夕食

そば

豚丼