日記『2019/6/27』

最近ずっと傍に置いていた話し声の動画はもうすっかり消してしまった。今は人がかなり前に人におすすめしていた音楽を聴いている。遅くなったけど今聴いてるよわりと分かるよという感じ。

 

自分が急に「ははは」と言うことがありそのときに初めて自分は面白がってるんだなと分かる。自分自身に対してすらアニメの演出考察みたいなことをしているのは完全に馬鹿だ。演出考察といえばやっぱやめた。

 

音楽が全て同じに思えるからつまらなくてヘッドホンを買った。頭につけただけで周囲の音がシャカシャカと異様に響いた。特にマウスのクリック音が今までとまったく違う音になった。サウンドクラウドで音楽を再生しても今まで使っていたものとの違いが分からなかった。マウスのクリック音のためにヘッドホンを買ったのかと思った。もったいない。

 

椅子の空気の軋みで隣人が少なくとも死んでいないことを思う。たまに僕が部屋から出ようというときに同時に隣人が部屋を出ようとする音が聞こえてくると僕はじっと身を潜めて野生になる。隣人と廊下で出くわすのが怖い。出くわしたら出くわしたでなんとなく会釈をする。会釈って人生のどのタイミングで学んだんだろう。

 

毎日溢れ落ちる。理解とか想像とか。

 

さらざんまいをざっくり再視聴した。ざっくり再視聴することしかできないから。俺の頭上からもアと書かれた丸い看板が落ちてきて火花を散らせながら身体を通り抜けていけと思った。水流が印象的だった。あと向きということを思った。鏡ということも。でもドラマ上問題ないのでスルーした。黒と白のカッパも本当にどうでもよかったけど設定を整理することができて満足した。

 

一日が爆速で過ぎた。途中昼寝をしたら一日何をやっていたのか思い出せなくて焦って怖くなってブラウザの履歴とかエヴァーノートの視聴メモとかを見てさらざんまいを観ていたのだったということを思い出した。さすがにやばいなと思った。

 

急に「おにぎり」が羨ましくなって2個買って食べた。

 

コーラを飲むと飲んだあとに喉が狭くなるような感覚になり嫌いだなと思った。でもコーラの代わりになるようなものを知らないからコーラを飲むしかないのだ。インターネットに似ている。なんでも似ていると思ってしまう。感覚が雑すぎて。

 

図書館から借りてきた本を1ページも読んでいない。買った詩集は2ページ目で「愛は死の詰め物」という言葉がでてきて恐ろしくなって閉じて以来読んでない。文章に向いていないんだと思う。

 

そろそろ身体がカップ焼きそばでできてきたと思う。実際にカップ焼きそばを食べまくっているし身体の10%くらいはカップ焼きそばだと思う。うける。最近VTuberの「エルフのえる」がマイクラをするとき適当に呼吸みたいに「うけるね」と何度も言っていて僕はそれを聞くのが好きなんだけど「最近うけるねってすぐ言っちゃうから言わないようにしたい」とも彼女は言っていて「もっと言っていいぞ」とコメントした。

 

ネットフリックスでマシュー・マコノヒーの出ている映画を調べて観た。タイトルは忘れたセレモニーなんとか平穏みたいな。10分毎に飛ばして観て最後はミュージックビデオみたいだった。感想を検索したらどんでん返し!どんでん返し!と叫ぶ記事が目立ちクソがと思った。どんでん返しがあるのはいい。どんでん返しがあると叫ぶ輩が嫌いだ。噓。やっぱりどうでもいい。皆勝手にしていい。