パンの友達(ピアノ)

今日友達と一言も会話せずに黙ってて、どっちが先に話しだすかなとどきどきしてた。結局どっちも何も話さずに分かれて帰ったけど、そういえばって感じで、友達の名前完全に忘れてることに気づいて、帰りながら愕然とした。最後に友達の名前呼んだのいつだったかな。毎日会ってて、結構趣味の話とか、突っ込んだ身の上話とかもしてるのに、名前、忘れてしまっていた。よく名前のことを呪術的に重要なものとして扱う人がいるけど、僕には全然分からない。名前なんて、正直どうでもいいと思う。あっちとか、こっちとか、方向を指し示すみたいに、あいつ、とかこの人とか、僕の人生はそれでずっと十分だった。僕自身、家族に名前を呼ばれた経験がほとんど無いのも影響してたりするのかな。なんか、そういう精神分析とかで深堀りしたら色々理由はあるんだろうけど、自分の主観としてはもうそれで根付いてしまってるから、それが自分なんだと納得してしまう。僕は僕でしかなく、名前を呼ばない、名前を呼ばれない僕も、それは完全に僕なのだ。一度だけ、友達が僕にあだ名をつけようとして、一日だけピアノ、と呼ばれていたことがあった。その一日はなんだか自分のなかに他人の名前がふわふわ漂っているみたいで、この名前、と思ったときには、その人のことを呼んでいた。その一日だけは、名前がその人と不可分なものとして理解できていた。僕はピアノで、あの人には名前という唯一の、特別な方向があるのだ。次の日からはまた普段どおり名前を呼ばなくなったし、呼ばれなくなったのだけど、そうすると、ピアノと呼ばれていた僕はどこかへ行ってしまったような気分になった。ピアノの僕は、僕からピアノと呼ばれていた一日の僕を連れ去ったのだ。僕はなぜだか、そんなピアノの僕が、今にも僕を迎えにくるんじゃないかと、予感している。よお、ここにいたか、こんなところにお前が、と、名前を呼べないから、お前、とかここに、とかそういうふうにしか、ピアノは僕を呼べない。ピアノの僕はピアノではない僕をうらんでいるかもしれない。だって、ピアノは一日しか人生を持たないだろうから。名前と時間だったら、僕は時間を選ぶ。ピアノは名前を持つけど、時間を持たない。ずっとあの一日という時間に閉じ込められているのだ。かわりに、僕は違うなにかに閉じ込められているのだろう。名前を呼ばれないということが、僕をなにかに閉じ込めているのだ。ピアノは、僕の入った容れ物をあける鍵を持っているんだと思う。だから、ピアノが死んだと聞いたときには、僕が死んだのかと思った。ピアノって死んだらしいよと友達から聞いて、僕はえ?と思った。だってピアノとは僕のことだったはずであり、僕はまだここに生きていて、絶対に死んでなどいないのだから。ピアノはでも、確かに死んでいて、家族も泣いていて、葬式も普通に執り行われた。僕はその全てに関わりながら、ずっと不思議だった。まさか僕が死んでるはずはない、と思いつつ、僕は実はもう死んだのでは?という不安が拭えなかった。急に、友達はよっ、疲れたか?と話しかけてきた。友達と話すのは2年ぶりだった。あの日、一度も話さずに一日を共に過ごした友達は、それから2年間僕と口を聞かなかった。僕も話しかけなかったし、友達も話さないのに、なんだかんだと彼は僕のそばにいた。無言が心地良い関係、なんてよく言うけれど、限度ってものがあるだろ。とにかく、2年ぶりに、友達は僕に話しかけてきた。ただし、名前は呼ばずに。友達は僕を少し気遣った後、茶色くて硬いパンのような包みを僕に手渡した。なにこれ、パン?と聞くと、友達は笑ってそれは僕の名前だろ、これはお前の部屋に眠っていたピアノだよ。僕は、僕がずっと、ピアノを部屋に隠していたことを思い出した。なんのことはない、ピアノを閉じ込めていたのは僕だったのだ。僕がピアノを殺した。友達はいやあ、お前がピアノを救ったんだぜ、と言って、僕の名前を何度か呼んだ。でも、僕はそれを聞き取ることができない。友達の口の動きで、友達が僕の名前を呼んでいるのだと分かった。ピアノはさ、と友達は言った。ピアノは、お前のどこにもいないようなところが好きだったんだぜ。ピアノは僕だったんだよ。いや、何を言ってるんだ?ピアノは俺だったんだよ。友達はまたわからないことを言った。ピアノは死んで、僕は死んでなくて、友達も死んでいなくて、友達はピアノだって?いや、ピアノは僕だろ?僕が一日だけピアノだったから、友達は僕の友達だったんじゃないか。そうじゃなきゃ、今までのすべてが、なんの理由も無くなってしまうだろ。友達は泣いていた。泣きながら、なんの、なんの理由も無いんだよ、そんなこともわからないのか?ピアノは、俺の全てだったのに、お前がそれを閉じ込めたんだ。何に?ピアノの中にだ。お前、覚えてないのか。人の名前なんて覚えたことがない、一度も呼んだこともないし。誰が呼んでも自分のことだと分からないお前が、一度だけ、あの日一度だけ、ピアノ、と呼んでくれたんじゃないか。あれは俺だったんだよ。お前は決してピアノなんかじゃない。呼ぶ名前と、呼ばれる名前の区別もつかないのかよ。そんなの自我のおしまいじゃないか。ああ、そうみたいだな。知ってるよ。それから友達は、聞くところによると、遠くの街のなんとかいう名前の教会に設置されることになったという。名前を覚えられない僕はその教会にたどり着くことはもう無いけれど、でもいつか、通りすがりにピアノ、と呼ぶと、そこに教会が現れる、そう思う。僕は名前を呼ばないし、ピアノはピアノという、物の名でしかない。人の名前だからこそ、特別に感じたけど、物の名前となると、なんだかどこにでもあるような気がしてしまう。と、そう考えたときに、妙に納得してしまった。ああそうか、僕の家族もそうだったんだ。僕の名前を呼ぶと、僕がどこにでもあるように感じてしまって、特別感が無くなって、失くしたところで代わりはいくらでもいるような気がしてしまうと、そう思って、呼ばなかったんだ。そういうことにしておこう。僕は僕の名前を呼べない。僕が僕と同じ名前の人の代わりになってしまうような気がしてしまうから。重厚な装飾を施された木製の扉が、少し空いていて、向こう側に白すぎる肌の人が、目を赤くしてこちらを睨んでいる。こっちに来てくださいと手と耳と髪で言われて、ふらふらとそちらに寄っていくと、白い肌の人は細い腕をばっと広げて、ピアノを猛然と弾き出した。あの細い腕のどこにそんな力があるのか、と思うほど、ピアノは音を大きくたてて、僕の夜の頭を揺らした。白い肌の人はピアノを引きながら何かをつぶやいていた。僕は白い肌の人に耳を近づけてみた。白い肌の人はこう言っていた。パン、パン、パン、と。僕も一緒になってそれを追いかける。ははははは、パン、パン、パン。そうだ、そうだな。そうね、そうよね、パン、パンだよね。あはははは。僕はかつて、通りすがりに、適当に、物に名前をつけたことがある。僕はそのときパンを食べていたから、僕はそれをパンと名付けたのだ。白い肌の人はそのことを覚えていた。ああ、あの時の、と僕は思い出した。パンを作るのが趣味で、作りすぎたからと僕にパンをくれた、あのお姉さんだ。またパン食べる?いや、ごめんなさい、もう食べられないんだ。パンはピアノになってしまったから。どういうこと?説明すると長いんだけど、僕はこれからピアノのことを友達と思い、友達のことをパンと呼び、だからパンのことをピアノとして呼ぶことになるんだ。へえ、そうなの、そうなるの。と白い肌の人は、軽やかにピアノを弾きながら僕の内面の理屈を流して聞いていた。全然何言ってるのか分からないけど、音楽には、たまにそういうことが起きるよ。そうなんだ。でも僕、音楽って嫌いだな。僕に似てるからかな。そういえば、曲ってどうして名前を持つんですか。ドレミファソラシド。作曲家が名前を持つ理由とは?白い肌のパンのお姉さんは、歌い始めた。名前の静けさをあなたが知らないから。名前の持つ、閉塞感を、あなたが知らないから。あなたの名前が、あなたを指し示すことの意味を、まだあなたが知らないから。パン、と呼んで、それが分かるというなら、好きにしたらいい。まったく世の中的には変だけど、これはピアノだけど。うん。でも、パンなんだ。パンで、ピアノで、僕の友達なんだ。