20231203

・ランニング記録

なし

 

・日記

朝なんとか起き上がってコミティアに向かった。着いて即ポプルスからイベントに直納されてる新刊を開けてテーブルに直置きし、用意しておいた「不思議な漫画あり〼」と「新刊五百円」カードを展開、設営完了をツイートして、ターンエンド。

あとはひたすらじっとして、お客さんが来たら「どうぞ」「ありがとうございます」とだけ言う機械になった。路上パフォーマンスで銅像の真似するやつ、あるじゃないですか、あれ、人が近づいたりお金を入れると、少し動いてまた停止しますよね、あの状態みたいだなと思って、それをやっていました。スペースの場所が、右が清水ニューロンさん、左が藤想君だったのでホーム感がすごかった。一切緊張感が無く、ぬくぬくと漫画を売った。いつもなら同じ机の人に気をつかったり挨拶で緊張したりするからね。

今回の漫画は表紙がかっこよくて気分がいいぜ。(夢味残三さん、ありがとうと言わせてください。)パソコンで見てた色味が想定どおり印刷で出ていて安心した。

内容についてはどうかな。正直それ自体でしかなく、あんまどういう話なのか分かっていない。筋としては理解してるけど、何の話ってなると正直よくわからない。得体が知れない。でも過去作で出てきたようなモチーフが頻出しているから、正しく自分の形をしているんだろうとは思う。あと読み終わったあとの感触が自分で読んでも不思議で、とらえどころがないような感じがする。それは出来事が段階的に進んでいかないせいかもしれない。あと絵を結構頑張ったけど、通しで読むと別にだ。絵といえば細い線がとぎれとぎれに印刷されてしまっているのが気になった。これは完全にCLIP STUDIOの設定の問題っぽいのでなんとかしたいな。細い線はちゃんと細い線として出力されてほしい。

帰宅後は部屋の契約の更新作業をしたり、洗濯をしたり夕食を食べた後、このブログを書いていた。無謀にも買った本の全部に感想をつけようとしている。しかも一言ではなく、ガチの感想だ。心して読むがよい。読まなくても、よい。

 

コミティアで買った本:全感想

『建築家さがし』清水ニューロン

まず触った瞬間気づくこととして、紙質がざらざらしていて、コミック紙ぽいのが良い。こういう紙にツルッとインクがのってるというだけで得られる快楽がある。

建築家を探す人間のもとに女の子がついてくる。女の子は無垢でかつ虚無感があり、かわいい。紛争状態にあってシリアスなはずの教会のドアが「ドアッ!」というオノマトペで開くのに笑った。それから理不尽な死があって、ある場所にドアストッパーが設置される。それで、彼女が建築家を探すことは、もうないんだろうと分かる。最後の暗転からの狂言回し(っていうんだっけ?)の高笑いは本当に最高だった。

絵柄は線が均一で、目に光がなく、それでいて人物は生き生きとしている。表情が生きているのだろう。また、動きは漫画記号的に処理されず、動きの中の1コマとオノマトペで表現される。こういった特徴と、スクリーントーンのドットが大きいのもあいまって、日本語で書かれた本のはずなのに異国の漫画のように感じる。僕はこの絵がとても好きだ。

短さの中にお楽しみ要素がぎゅっと凝縮されており、大変よい漫画だった。

『TEMPLE TOP POT』清水ニューロン

もう一個清水ニューロンの作。また良い材質の紙!

紫色で細く、しかし強弱のある線で抽象的な図形が描かれている。いや、見た目にはまったく抽象なんだけども、もちろんただ「具体的でない」ということではない。具体性はある。それは感覚の具体性とでも言おうか、時間が一旦作者の中を通って(もしかしてそれって「経験」というのでは?はい。)、出力された図形、そういう印象がある。つまり、これは詩ということなんだと思う。具体的な経験が、人間のフィルターを通して表現され、ある種の一般性を得たものになること。(同じこと言った。)それを見た人間は、オリジナルの具体的な経験について知る必要は無い。ただ、見た後のなんとなくの感覚が残り、記憶と結びついて違う何かを得る。こんな体験ができる絵というのは得難い。詩のような絵。やっぱこれだね。

『大稟議のカーシャ』藤想

藤想の新作だ!見てくれこの表紙!すごいなあ!この色この絵この呪文!「誰も見たことのない水生生物の新種。それ以上は現物を調査しないと何とも言えませんな。(早口)」!最高~!やった~!ってことで、読んでいきますよ、という感じでウキウキで読み始めた。

藤想の絵っていうのはねえ、大胆なんですよ。(唐突)冒頭の木の処理を見てくれよ。ただざわざわっとした図形が真っ黒に塗りつぶされているだけ、これだけでそのときの時間、天気、風、木の動きまで伝わってくるようじゃないか?実のところ、これは木に限ったことじゃあない。藤想の絵(説明しようがないが、絵以外も「そう」なんじゃないかと思っている。)っていうのは「全部」がそうなんだよ。知ってたか?ここでは本当に優れた省略が行われている。しかし全く表現したいことの情報を損なうものでもない。「伝わって」くるんだよ。「ここはこうなっているぞ」という意図が。本当に凄いことだと思うし、僕は毎回それに驚いては感動して、ひっくり返ってしまうんだ。

さて、タイトルページ。ここでは主人公に暗い影が落ちていて、のちの結末の予兆がある。それからタイトルと、それと並べるように記載された作者名。これは単なるタイトル・作者というお決まりのフォーマットではないんじゃないかと思った。あとがきにもあるように、これはある種の自伝的要素(もちろん感覚的にという意味でだが)を含んでいるようなので、意図されたものだと思われる。つまり、大稟議のカーシャとは、作者自身でもあるというメッセージなのだ!(本当に?いや、本当かどうかはいいんだよ。僕はそう思ったんだから。)しかしGOD APPROVALとはね。GODだぜGOD。でかすぎんだろ。GODにAPPROVALさせたことなし。

P6,7:冒頭。主人公が生活している。おお見よ!この1ページに収められた表情のバリエーションを!ため息が出るほど巧みな手付き。

P8,9:数字、数字か・・。僕なんかでは想像もつかない世界だ。噂に聞くところでは、この世には数字の世界があるらしいのです。

P10,11:この世の春。

P14,15:社会システムそのものだ。こういうものを僕はSFという。もしくは詩という。

P27:驚くべき省略画により、「冬の外」が顕現する。

P32~34:「何かを突き刺す機械」「殺人詩」発想の開花。芸術による美しき勝利。

P36:ああ~。絶対に許さないぞ、エラベンダー。お前を何も選べなくしてやりたい。でもさ、そうはいかないんだよな。知ってるよ。彼らは選べるし、選べ続けられる。そういう人間は実在する。苦しいなあ。エラベンダーのことは、僕はできるなら認識せず、無視しておきたい。どうしようもないから。

P38~43:救いは無い。

~P48:救いは無い。

エンディング:「全部実話です」「やはりこの世界はゴミですね」「だから私も/ならねばならないと思いました/稟議士に」はい。

そんな気無かったのに全部の感想になってしまった。僕が普段どのように藤想を読んでいるかおわかりいただけただろうか。藤想という作家はねえ、本当に凄いんですよ。

『DRAWING MAGAZINE』昼寝/他

昼寝先生の表紙が素晴らしく、購入。ハッチングで描かれた影、繊細すぎる髪の毛、銅版画のような水中の恐ろしいイラスト。凄すぎてよくわからないくらいだ。

ハッチングで描かれた肌は、線で描きようのないはずの曲面を線で描き出そうとする。そしてそれに成功している。驚異的な解像度の、肌への執着。ああもちろん、肌だけではない、肌も、ということなのだろう。また、この技法を用いているにもかかわらず、動きや、空気遠近法、情報量の調整による遠近表現までやっていて、もっと意味がわからない。しかも、それをもって描くのが「水中」という・・。偉業としか言いようのないものが、ここに達成されている。

『敵国のカレンダー』ファンクラブ

詩のような言葉が、二人のキャラクターの吹き出しに連なっていく。詩は台詞として吹き出しに入っているが、実際には違う言葉が話されているのだろうと思う。読者には知りようのない言葉が。それは翻訳されているか、隠蔽されているか、暗号化されているか、その全てなのか。

まず空間があり、そのなかの時間がある。空間はそこにあるはずのカメラの存在を意識させ、時間は絵の遷移と言葉を用いて表現される。トンネルのなかに二人が消えていくシーンがあるのだが、その表現が特に印象的だった。はじめトンネルと二人、それからトンネルの中の二人、最後にトンネルの暗闇と言葉(ここで二人の姿は描かれない)。最後のトンネルの暗闇のなかに、たしかに二人の存在はあるのだ。

何度か読んでいると、はじめの2ページの台詞が、最後の2ページのキャラクターの行動とリンクしていると気づいた。全体に何かが解釈できそうで、できず、ほどけていく。言葉は言葉として、絵のなかのドラマはそれとして、分裂してしまう。でもその最初と最後のリンクがそれらをつなぎとめ、何か「正解」があるんじゃないかと、また読み返してしまう。それ(正しい解釈)を見つけることに意味は無いんだろうけど、そのプロセスには意味があると思う。言葉と現実とを繋ぎ止めようとする営みだからだ。

 

・夕食

味噌ラーメン

サーモン巻き寿司

豆腐