20240324

boatしてたらもう3月が終わる。

 

■アダルトビデオ視聴
急に思いついてFANZAのAVサブスクを一瞬登録して何作品か観て感心したのちすぐに退会した。特に良かったのは『さもあり×桜空もも ≪ぶっ飛ぶ快感汁!?≫ ―シン・ルーインドオーガズムー 業界の異端2TOPが遂にコラボ!!』(https://www.dmm.co.jp/digital/videoa/-/detail/=/cid=ipzz00063/)。演出や女優の演技に観るべきところが多く、同じ女優の他の作品も観たがこのように良いものは他にはなかった。AV監督って何をしているのか分からないけど何かをした結果良さに繋がっているんだろうと思う。(当たり前)多分僕の想像を超える地道な作り込みがあるんではないか。何も知らないから何も分からないが。女優の煽りとか責めの演技がよかった。言葉に限らず表情や目線、体の動きが精妙に制御されているのを感じて素直に凄いと思った。どうやってやってるのかまったく想像がつかない。ダンスみたいなものかな。ダンスも知らねえが。同人音声ならなんとなく演技指示つきの台本があって声で演技するっていう想像がつく、いや、でも同人音声も同人音声で舐めの音とかオホ声とかで色々と技術がありそうだから同じことか。(何も分からない人)

 

■面白Web小説情報

https://ncode.syosetu.com/n0258ie/

https://ncode.syosetu.com/n3719ik/

 

 

 

20240311

Zoom?というメーカのH1essentialというマイクを買った。

使い方がいまいちわからず、とりあえず適当にUSB-Cのポートがあったからパソコンに繋いで録音をしてみている。

なんか物を言ったりすると空気がめちゃくちゃマイクに当たってそれがものすごい不快なボフボフっとした音として拾われてしまい最悪だ。調べたところ風防なるものがあり、それを取り付けることでこれが解消されるらしい。買うか?と思ったけど、買うほどのものとは思えなかった。靴下でも付けとけば良いのではと思ったがそんなにうまくいかず、結局風防を買おうとしている。

色々試してるけど近くの音を撮るには風防が無いと全然だめだな。

PCで録音してaudacityとかに取り込んで音量大きくしたりしてるけどするとめちゃくちゃノイズがのっていることがわかった。風呂場の換気扇の音とか冷蔵庫の稼働音がめちゃくちゃのる。あと机に直に置くと外付けHDDの音がモロに入っている。

ASMRとかって普段なにげにユーチューブでやってるの見かけるけどみんな頑張ってんねやと思った。言葉をどうするとかももちろん、環境を整えるのが普通に難しいそうだよな。

朗読みたいなものを適当に撮ろうと思ってやったら自分の喉がふつうにしまってきてまともに言葉を読むことができなくて驚いた。すぐあとに悲しくなった。朗読って練習でうまくなるもんなのかなあ。

20240307 勇者(本)召喚

ある朝のことだ。架空の国があれば架空の作家がいて架空の本があるはずだから、もしどこにも無い本を手にしたければ、それをここに召喚すればいいだけだと思ったんだ。でも、架空の国は架空だから実際にはなくてさ、だから僕は僕自身がそれ、その国になっちゃえばいいんだ。それで国のなかに作家を生んで(もちろん作家にはドラマチックな生涯がある)、作家が本を生む。僕はそれを読む。気に入ったものがあればこちらの世界に引っぱってきたっていい。召喚がいやなら転生でも転移でもなんでもいい。本の異世界召喚、こういうわけです。今僕は僕の中にはもはや何もないから、イマジナリーの世界からの勇者召喚の儀式を執り行って、この無のなかにいるはずの魔王を討伐させる。本よ、無の奥の暗闇に潜んでいるはずのでっかい暗黒の魔王を倒してきなさい。それはいないかもしれないが、あなたが旅立つことで、この世界はたぶん救われるでしょう。

20240220

「全て」が「滑って」になる時、土砂崩れのようなひどい災害のイメージになる。

今こそ詩を読む時と思い立ち、ランボーの詩集をkindleで買って読むなどし、やっぱし書いてあるものが現実すぎて、面白いんだけど、でも現実だしな、という10年前と同じ感想を持った。Amazonの好きなところは昔買った本をいつ買ったかがわかることで、僕が「地獄の季節」という薄い岩波の詩集をネットで買ったのは2014年のことらしかった。小林秀雄のたまに文語体の分かりづらい詩を読んで、結局何がいいんだか分からないけど、その薄さやタイトルや文章のスカスカな感じ、文字がデザインとして紙面にある感じが好きで、最後まで実家の本棚の手に取りやすいところに置いていた。結局何がいいんだか分からないのに、何かあるはずだ、いつかわかるはずだと思っていた。なんつうか、現実をやってますよという地に足付いた感が優等生っぽくて嫌なんだよな(嫌なのかよ)。隙がないっていうか、つまらない。でもこんなに評価されてるんだから何かあるはずなんだ。それは、評価されてるものってだいたいそんなものでしょう。いやそうなんだけどさ、何かあるかもしんないじゃん。(何かってなんだよ。(なんかこう奇跡みたいなことが起きるんだよ。))その点、同時期に買って読んだマラルメは良かったな。とにかく分厚くて、本当に意味がわからなくて、注釈が本の大半を占めていてそんなんありかよと思ったりした、言葉が崩壊してて、でもそれは僕の読み方が悪くて、ちゃんと読めばちゃんと分かるんだろうなとも思ったけど、僕は僕の読み方で得られるものが好きだったんだ。それはいつしか自分の詩になり、漫画になり、やがて無へ消えていった。今はそれがどこにあるのか分からない。ランボーになってしまったのかもしれないし、マラルメの正しい読み方になってしまったのかもしれない。そう、正しさだ。正しさに、僕はやられてしまったんだろう。テキトーにやってはいけなくて、意味があって、目的があって、機能があってロジカル、体系があり、ビルのような耐震性を備える、そういったものをいつしか自分に課してしまったのだ。(本当ですかそうでもないんじゃないですか)すべて仕事のせいでしょうか。年のせいでしょうか。めちゃくちゃな言葉を吐くのに韻というのは本当に優れているけれど、すぐさまそれは韻の流派に回収され、韻の競技性に巻き込まれて終わる。僕がやっていた、もしくはやりたかったのは、もっと台風のような怪獣が暴れる最終回だった。体が飢えと舌に引っ張られ、心を置いて出かけるような序章だった。今どこにそれがあるんでしょうか。あなた知りませんか。「それ」がどこにあるのか。

なぜ今この自分なのか。明日になったら違う自分になっていたりしないのはなぜなのか。主観はどうしてここにだけあって、ここ以外にはないのか。主観はなぜ、移動できないのか。他人にも主観があるのか。なぜその人の主観は、その人以外の主観にならないのか。