ピエロちゃん(ピアノ)

ピエロちゃんには、大好きなひとがいました。いつも笑っていて、雲の形をずっと覚えていられるひとでした。ピエロちゃんが忘れてしまった雲は、そのひとがピエロちゃんのほっぺたに教えてあげました。ピエロちゃんのほっぺたは変幻機構をそなえていて、そのひとはほっぺたで形を作る名人でした。その人の名前はハイタンといいました。ハイタンは、ピエロちゃんのほっぺたを初めて見た時にこう言いました。君のほっぺたは、自然物の静けさと、荒くるしさの両方の性質を持っていて、僕にはそれがとても便利に思える、と。ピエロちゃんには何を言われているのか見当もつきませんんでしたが、とりあえずピエロちゃんは、その場でピエロちゃんが最大限にできる変幻によって、大きく華やかに笑うことにしたといいます。その笑いで、多くの人が押し潰されてしんでしまいました。ハイタンは器用に身を歪め、ピエロちゃんのほっぺたをがんばって避けました。ピエロちゃんはハイタンがしんでいないことを喜びました。それ以外のひとは目に入っていませんでした。ピエロちゃんはハイタンだけがいれば、この世界でどんなにひどいことが起きようとも、それは大したことではないのだ、と考えるようになりました。ネエ、ハイタン、またあの雲を思い出させてよほっぺたの形で作ってよ。ピエロちゃんは何度も何度も、ハイタンにほっぺたを差し出し、ハイタンはそれに応えました。ハイタンはほっぺたに触ったあと、いつもこう言いました。君は神の与えたもっとも自由な素材だ、と。神とは何か?ピエロちゃんはまだ知らなかったので、いつか変幻の果てに現れるという、もうひとりのピエロちゃんのことなのだろう、と思いました。ピエロちゃんには、鏡に映ったピエロちゃんのことを崇拝する気持ちが芽生えていたのです。ハイタンはもちろんそのことに気づいていて、崇拝がピエロちゃんの変幻を強化することもよく理解していました。ハイタンは覚えることと、それから作ることが大得意だったのです。しかし、それゆえに、ハイタンは生涯、ピエロちゃんのことを生き物というよりはむしろ、機械として尊敬していました。ピエロちゃんがどんなに生き生きとほっぺたで街のように大きな笑顔を作ろうとも、ハイタンがそこに感情を見出すことはありませんでした。ハイタンは笑わないのオ?とピエロちゃんが聞くと、僕は君が笑っていればそれでだいたい満足だよ、と言いました。ピエロちゃんは何か誤魔化されている気がしましたが、ハイタンにほっぺたをちょんと触られたために何も考えられなくなりました。ピエロちゃんは、ハイタンにほとんど操縦されているような状態になっても、ハイタンのことが大好きという気持ちは消えませんでした。むしろその気持ちは、ほっぺたの変幻機構を次の段階に導いてくれる、そんな予感があったのです。ピエロちゃんには、次の段階がどんなものか分かりませんでしたが、それでもそれがトテモイイコトだということは知っていました。ピエロちゃんはある日、自分の魂が端のほうから硬直していっていることに気づきました。それはとても早くピエロちゃんを蝕み、ハイタンにお別れを言う間もなく、ピエロちゃんは黒く光る竜形のピアノとなりました。ピエロちゃんのピアノは、音の代わりに物体を放出する、物体演奏型自動彫刻機械竜でした。ハイタンはピエロちゃんのピアノの姿を見て、これまで一度も動かしたことがないような筋肉で新しい表情を作り、暴れるようにぶらぶらぱりぱりと踊ったと言います。ハイタンは、これが好きだ、これが好きだあと、うわごとのように繰り返しました。ピエロちゃんのピアノは、ハイタンに弾かれるのを今か今かと待っていました。ピエロちゃんのピアノは、この日のためにこの世界に降り立ったのだと、いたく感動していました。ところが、ハイタンが口笛を吹いて現れたのは、かおをかおをかおをかおを三つも四つも持った異形の指無し手のひらの群れでした。アア、なんということなの?ピエロちゃんのピアノは手のひらたちに乱暴に弾かれてしまい、ハイタンはそれによって作られる醜い物体を、大事そうに拾い集めるのに忙しく動きまわり、ピエロちゃんのピアノのことなんて目にも入っていないようでした。それが始まったのは、まさにこの時のことでした。ハイタンの目に、自分と同じ姿を持つ神が映っていないことに、ピエロちゃんが気づいた、この時のことでした。ピエロちゃんのピアノは、自分の意志で笑うように物体を奏で始めました。ワタシハ、巨大なクラガリノナカカラ、ひとにぎりの絶望をとりだしてみせよう!指無し手のひらの複顔の異形たちは、一瞬にして死に絶え、ハイタンも今度は避け遅れて真っ二つになってしまいました。ピエロちゃんは、ハイタンがほっぺたで作ってくれた全ての雲を思い出して、それとそっくりになるように頑張って物体創造演奏したのです。ピエロちゃんのピアノの鍵盤が、ポロンポロンと五鍵くらい体から抜け出して、生きているかのように歩き、ハイタンのなきがらに縋りました。アア(ポーン)、ハイタン(ジャーン)、あんなにも大好きだったのに(デンデンデンデン)!ピエロちゃんの硬直化した魂の奥には、柔らかく暖かなものが守られていました。ハイタンを大好きだという気持ちが、ひとの舌のような質感の物体として、抽象的な肉体として、丸く、魂の石の隙間に隠されていたのです。ハイタンを殺してしまってから、ピエロちゃんにはしばらく誰も寄り付きませんでした。それというのも、ピエロちゃんはいまや巨大な雲の形の彫像の山の主であって、麓の住人たちに神として崇められていたからです。長いときが経って、ピエロちゃんは自分に近づくものに気がつきました。白と黒の体を持った縦ストライプの物体が、崇高なる意志を持ってピエロちゃんに辿り着きました。それはピエロちゃんの分身であり、ピエロちゃんの神様でした。オオ、神様。どうか私の肉体の鍵盤からハイタンをお創りください。ジャジャーン、ジャジャーン、ジャジャーーン。白黒の分身は何度か適当に鍵盤から「隣人から隣人へ、神と思って崇めるように。」物体を簡単に創り出すと、それらをパチパチと組み合わせて、立派なハイタン像を形づくりました。マア、本当にハイタンの姿ダワ。私のことを見ないところも全くソックリネ。それから、分身はピエロちゃんにこう言いました、俺たちはまだまだいるぞ、俺たちは全員が全員あなたであり、あなたの望みを叶える神様なのだ、と。ピエロちゃんは分身のなかに、ハイタンのことが大好きな気持ちを感じました。彼らは全員でハイタンのことが大好きであり、本当に、ひとりひとりがピエロちゃんと同じようにハイタンを好きでいるのだと分かりました。ピエロちゃんの大好きだった人は、分身たちの創られた精神の奥深くに根付きました。それはまさしく崇拝という名の、魂の発生する原因でした。ピエロちゃんのピアノは、精神世界を変幻する機構を手に入れたのです。「隣人から隣人へ。大好きな人を。神と思って崇めるように。」