20240116

人のことは嫌いではないんだけど、人と関わってうまくいった試しがないというか、人と関わるたびに毎回ちょっとずつ失敗していて、たまに大きい失敗もして、つまりだいたい人と関わると自分が失敗しているということなんだけども、失敗すると分かっていることには人間なかなか手が出なくなるものでして、例えば何度やってもうまくいかないスポーツとかゲームとかがあったら、なんとなくそこから身を引く、避ける、やめちまう、というのが人の性だと思いますが、まさしくこの私にとっては他人という存在がそれなのであります、他人というのものが常に失敗とともにあり、失敗の記憶として蘇り、失敗することが分かっている道、階段、町、場所、空気、そういった存在なのです、人のことで困っている人は私がこのように人を避けて通って生きていることになんと贅沢なことかとお思いでしょうが、そんなのもまあ人それぞれの事情というわけでして、私は何も喜んで人を避けているわけではないんですが、事情ある人にとってはそれはもちろんけしからんということになるでしょうな、それは人と関わって楽しい人もそう言うだろうし、反対に、人と関わってつらいという人ももちろんそう言うでしょう、まさに人の事情というものですわ、ああしかし、人というのは難儀なもので、心の奥底に人と関われという命令が埋め込まれているんですな、それで何度失敗していてもまだなにかあるんじゃあないのかしら?と何度言っても行き止まりだった人の道へ迷い込んでは泣きながら帰ってくるということを繰り返してしまうんですね、愚かなことだと思いますが、それをやめたら人じゃなくなるような気もしますね、はい、出た、これぞまさに、あ、人でなし、と言いたいだけの展開、人というのはかようによくある言葉に考えを収束させてしまいたくなるものです、気をつけましょう、それはともかくね、人と関わりたいというのも別に嘘じゃないんですよ本当のことなんです、でも実際自分がやるとなったらうまくいかないのは目に見えてるんでやらないだけでね、はたしてそんな自分を認めると人とうまくやってる人を見るとなんで自分はうまくやれていないのか、自分は人より劣っているのではと、こう思うようになるわけです、そうなったら最後、人との交流という名の、恐ろしい競技の世界に巻き込まれてしまうのです、競技の世界は厳しいですよ、明確に順位が決まりますからね、やめたほうがよいです、いつか負けるのですからね、そんなことよりも独自の流派を切り開いたほうがよいですよ、独力で新しい人との関わり方を見つけるのです、いつまでも金メダルを夢見ていないでオリジナリティで勝負しよう、この私そう思ったこともありましたが、なんとオリジナリティの世界も競技化されるんですね、なぜか、人は順位というものが大好きですから、なんでもかんでも、あるものは全てのきなみ競技化したがる性質なのです、競技にならないものは死んでいるか、生きていても無視されているだけ、なんとも悲しい現実ですね、何の話だっけ、そう、人と関わってうまくいった試しがないという話でした、うまくいかないんですねえこれが、面白いくらいにうまくいかない、うまくいったと思っても、よくよく見るとうまくいっていない、もしかして誰もうまくいってないんじゃないかと思って周りを見てみるとまわりもまあまあ失敗してはいるけども、それでも成功している人だって大勢いる、ああこれは困った、困ったことになったぞと、私は思うわけです、さてどうしようかと、たどり着いた結論は無視ですわ、無いものとして扱う、人との交流なんてものはね無視しておけばよいのです、そうしたらね、無いのと同じですからほらね、つって、最悪ですね、やあなかなかどうしてです、でも、それ以外にどうしたらよいのでしょうね、苦しいものは苦しいんだし、苦しいものに近づく道理ってないですよ、それは倫理を越えてそう思いますよ、超倫理です、自分勝手、自己中心的とも言います、でもね私はそういった物言いもある種競技化された人の関わりのなかで生まれた言葉なんじゃないのと思いますよ、そうじゃない言葉なんて無いのかも知れないですが、恐ろしいことですよ本当に (こんなものを書いちゃって、こいつ何かあったのか?とお思いでしょうな、何もないんです、いつもどおり何も考えずに筆が滑っているだけです、俺が怖いか?)