日記『2019/6/11』

Special RequestのVORTEX聴いてる。
 
インスタグラムで写真を3000枚ほどダウンロードした。写真家が無料で高品質な写真を公開しているのってなんなんだろう。インターネットの無い時代だったら高価な写真集とか海外の雑誌とかをなんか特殊なルートで手に入れてようやく拝めるような写真がちょっとクリックを数回検索をいくつかしただけで数千枚容易に手に入る。そんな感動今更だろお前はインターネットの何を見てきたんだよって思われるかもしれないけど今日急に思いついていざ急に写真がとんでもない量自分のパソコンに保存できて保存した写真眺めてたらなんだこれ?変じゃね?ってなった。価値観がぐにゃあって歪んだ。俺の感性って古いし、遅い。
 
でなんで急に写真をダウンロードなんてしだしたかってことなんだけど、今朝だったかツイッターの清水ニューロンさんが写真をこれいいねってツイッターで上げていて確かにいいねと思ってそのソースのサイト行って写真家の名前を確認してその名前で検索したらその人のインスタグラムがあってそしたらそこに500枚くらい写真があって保存しよってなったってわけ。それで他の写真家ってどうなんだろうと思って「instagram photographer」で検索したらTIMEでこのインスタグラムの写真家50人は見とけみたいな記事見つけておっいいじゃんと思った人のアカウントに行って写真を保存した。どのサイトも500枚以上は確実にあってなんでこんなに写真が…と純粋にその物量に圧倒された。
 
写真ってそりゃ技術の研鑽とかはあるだろうけど一瞬で撮ることができてでもその一瞬が非凡な感性と努力の末にあるものなんだと思うとなんだか凄い。まあどんなジャンルの芸術でもそういう側面はあるんだけど。インスタグラムってなんかいわゆる作品らしい写真と日常の写真が混ざって投稿されていて面白いなと思った。他の投稿サイトを知らないけど普通写真家というと同じようなスタイルでガンガンやっていくみたいなのを僕はイメージとして持っていてもちろんそういう人もいるんだろうけど僕が好きな写真家はカテゴリーとしては雑多ででも撮り方とか色調で統一感があったりした。他にもフィルターとか編集が共通してるのかもしれないけど写真を作品にする過程を何も知らないので何も分からない。でも目の前のこの写真あの写真の良さくらいは無知なりに分かる、と思う。いや、どうだろう写真の良さってなんだ?まあこれいいねくらいは好きに思わせてくれよ。
 
この前アート関係専門の古本屋で写真集をいくつか見て花の写真ばっか集めた写真集が1万円とかしてて「うへえ」と思ったんだけど一方でインターネットには何千枚もの写真家の写真が無料で公開されてたりしててこの差って何?と思ったりした。あとこれは映画にも関係することなんだけど、写真とかの、こう現実をそのまま映してる感じに、僕は本当に簡単に圧倒されてしまう。ちょっとした魚の写真でも光り方とか液体のぬめった感じとか死んでるんだと思ったり血がこぼれてたり…とにかく情報量が半端じゃない。絵だとこのへんの情報量が調整されていて、まあ映画や写真でそういう調整が無いとは言わないけど、絵はもっと恣意的に選択的に何を見せるか何を伝えるかということが明らかだと思う。一方映画や写真というのは本当に現実そのままの、無限にすら感じられる情報量を持っていて、特に映画なんかだとそれが時間的に連続して次々現れるもんだから情報をいちいち咀嚼していたら頭がパンクしてしまう。映画ってそういう点で僕は苦手で、本当に逐一提示される情報に賛成できないと観てられない。写真はその点でいえば当たり前だけど静止画だし自分で見る時間を調整できるからどう見るかどう受け止めるかが自由で気楽だ。
 
さっき僕が好きなインスタグラムの写真家はジャンルとして雑多なものを投稿していると言ったけど、パソコンの画面いっぱいに写真を表示してどんどん見ていくと前の写真からは当然だけど想像だにしないジャンルや情報で、その飛躍がめちゃくちゃ気持ちがいい。僕は漫画でもこういう情報の飛躍が好きなんだけど、なかなか飛躍を自由にはさせてくれない。それは一応漫画にはなんとなく物語が必要な感じがあって、というのも漫画は時間に関係しているからだと思う。ところで写真って川柳に似てるところがあると思う。「一瞬」な感じとか、一枚と一句にかける時間とかが。まあこれは単に似ているなというだけの話なんだけど。
 
僕は写真のコラージュって苦手でどう受け止めたらいいかわからない。写真ってそれ自体で閉じてて完成しててコラージュにした途端写真にあった現実を切り取ったゆえの神聖な感じが失われている気がしていかにも人間の考えそうな人間の思考の支配下に置かれてしまう。そんなこと言ったら写真だって人間が撮ろうと思って撮ったものだろとは思うんだけど程度の問題で、まあ分かってくれよ。わからないならこの話は終わりだ。
 
こんなことを色々考えているうちに自分でも写真を撮ってみたいなと思った。じゃあ何を撮るかって考えて考えてるうちにその移動距離に嫌気がさしてきて俺って写真撮るのに向いてなすぎるなって思った。部屋にずっといるけど写真家ってなれますか?なれるわけないでしょ。でも分からないよ。何が。部屋に色々人が訪れるなら部屋にいながらにしてポートレイトをたくさん撮れると思うし被写体が良ければとか撮り方とかがうまければとか色々やりようはあると思う。まあ僕の部屋に訪れる人なんて一ヶ月に一人いるかいないかって感じですが。
 
安楽椅子探偵みたいな感じで安楽椅子写真家ってどうですか。そんな甘い話は無いと思いますか。でも多分そんな感じの考えでグーグルストリートビューのスクショを無限に上げている人がいたりするのを僕は知っていて、それって安楽椅子写真家だよなと思う。でもどうしてもグーグルストリートビューだと解像度の問題とか近寄れなかったりとか制約があって、もちろんそのやってる人はその制約を楽しんでいるのだろうけど、僕は本当に部屋にいながらにして写真が撮りたいんだよね。撮ったらって思うでしょ。撮ろうかな。いや、どうしよう…。バカ。向いてないよ。
 
じゃあこれから保存した写真でも見ますかの。